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2020/03/22

【娘の友達】第35話「嗅がれる男」-(つづき)古都はただの匂いフェチに非ず

あらすじ

市川晃介から返された写真に見入る如月古都。彼は古都を自宅近くまで送る。帰途、スマホに娘・美也からのメッセージが着信した直後に古都の母に行き会い、言葉を交わす...

(つづき)

くんくん、わんわんっ

古都さまは、晃介の体臭がお好みのご様子。最初の「くんくん」シーンは第8話。肌の露出もないのに衝撃的なエロさで、筆者に強い印象を残した。マンガに限らなくても、女性が「嗅ぐ」という愛情表現は、あまり見た記憶がない。
晃介は喫煙者で、タバコ臭は婦女子が忌み嫌うものと相場が決まっている。彼は自宅でも普段はベランダで喫煙しているが、亡き妻か娘からそう強いられたからだろう。


「娘の友達」講談社(萩原あさ美著)第12話「親友の印」から引用
晃介のタバコ臭さを指摘する美也の図

それなのに旦那、この高一の娘ときたら、良い匂いだって、顔を寄せてくんくん嗅ぎまわるんですぜ。実の娘も嫌う匂いを。とんでもねーいい子で、とんでもねー匂いフェチで、感動とコーフンの坩堝ですわ。

「娘の友達」講談社(萩原あさ美著)第8話「絆創膏」から引用

分かるよ晃介、筆者とて妻から子から口が臭いと嫌われる中年だ。劣等感を感じていた欠点こそが好きだと態度で示されれば、「こいつは変態」と思ったとしても、心が動かない男はいないと思うぞ。
以後、「くんくん」シリーズは、第23話、今第35話で登場している。だんだんと描写がおとなしくなり、35話では鼻を鳴らすことなく、晃介の匂いを嗜まれておられる。
さて、これを、父が寄り付かない家庭で育った古都が父性に飢えてタバコ臭にフェティシズムを感じているとか、晃介の劣等感を見透かして彼の歓心を買おうとしているとか解釈しても、もちろん間違ってはいないだろう。が。

嗅ぎつけた

「嗅がれる男」が今第35話のタイトルだ。「嗅がれる」との意味の一つは、もちろん古都の「くんくん」であり、またもう一つは、古都ママが古都の交際相手を「嗅ぎつける」ことだろう。
ちなみに各話のタイトルに二重の意味を持たせる手法は、著者が好むところらしい。第30話「押しつけ」、第29話「破棄」、第20話「モテそうですよね」、第11話「お礼」、第10話「目印」などが該当するだろう。
で、何が言いたいかというと、古都もまた晃介に何かを嗅ぎ当て確かめようとしているのではないか、ということ。何を?  自分が仕掛けようとするゲームのプレイヤーとしての適性が、晃介にあるのかどうかをだ。自分に世話を焼かせてくれるのか、自分を頼ってくれるのか、トラブルにも逃げ出さずに自分を想ってくれるのか、等々。考えてみてほしい。読者は晃介のような経験に耐えられるだろうか。この女の子はヤバいと思って逃げ出すか、彼女の肉体をつまみ食いして逃げ出すかの、どらかではないか。野卑であってもそれが現実、それが「普通」だ。
個人的な経験で実に恐縮だが、筆者は実際にアダルトチルドレンと思しき女性と、付き合ったことがある。自分自身にも、少しはアダルトチルドレンの要素があるのだと思う。相手の成育歴などを聞いたわけでもないのに、二人は天の配剤、月が企んだがごとくに出会い、猛烈に惹かれあう。リクツを超えた、超自然的とも思える何かの力が、アダルトチルドレンのカップルに働くことは、確かにあるのだと思う。
古都が晃介の体臭を嗅ぐのは、味わうためだけではない。麻薬犬のように、嗅ぎ当てようとしているのだ。彼に何らかの素質が備わっているのかどうかを。その比喩としての表現だろう。

これが、第8話を読んだときに筆者が抱いた感想だ。

古都の想い

古都と晃介は、その関係を美也に知られたことがきっかけで、交際が一度は破綻した。だが晃介は結局、仕事と家庭の不首尾から、古都の元に逃げ帰ってきた。それを古都は知ってはいないが、この男とはまだゲームができると再確認したのが、晃介の匂いを嗅ぐという行為なのではないか。そうして初めて、古都の顔にはかつての生気がもどる。
だが、それはもちろん「普通」の恋ではない。

「晃介さん...
私に会いたかったですか?」
「...うん」
「ふふ...
うれしいです」


古都さまたる者、晃介に会えて嬉しいとは、決して言わない。
読者は既に気づいているだろう。古都は、晃介を好きだとは、一度も打ち明けたことがない。
第15話から16話にかけて、古都は何度か晃介に「好きですか」と問い、全裸で迫る反則技で、ついに晃介に「好きだ」と言わせた(第16話)。ここまでされたら、もう「好きだ」と言うしかないじゃんね。言わなきゃ帰してくれなさそう(笑)

「娘の友達」講談社(萩原あさ美著)第15話「お願い」

アダルトチルドレンは、自己肯定感の低さから、相手よりも優位に立とうとする思いが強いという。これまでも古都には、晃介に対し優位性を示そうとするような言動があった。「また貼ってあげますね」(第10話)、「また遊びましょうね」(第8話)、「おいで」(第5話)などは、晃介よりもずいぶん歳下の古都の言葉遣いとしては、やや不適切だ。「おいで」って、犬じゃないんだからさ。いや、犬みたいなもんだと思ってるんだろうけど、口に出しちゃダメでしょ。

お互いが対等に惹かれあうのが恋愛の理想とすれば、古都の晃介に対する接し方は、想うよりも想われたいという恋愛黒字を前提としていて、歪なものとなっていはしないか。
恋愛には色々なカタチがあるだろうから、そんなのは恋愛でないとは言わない。だが如何にも危なっかしい。古都さまが本当に晃介に惚れているかどうかは、まだ予断を許さない。

2020/03/20

【娘の友達】第35話「嗅がれる男」-「月」はなぜ見ている?(つづく)

あらすじ

市川晃介から返された写真に見入る如月古都。彼は古都を自宅近くまで送る。帰途、スマホに娘・美也からのメッセージが着信した直後に古都の母に行き会い、言葉を交わす...

はかりごとが大当たり

自分と晃介の関係が母に知られたことを、古都は敢えて彼に知らせていない。これは古都が無意識に、晃介を更なるトラブルに巻き込もうとしているためだー前第34話について、筆者はそう指摘した
早速、古都様の冴えた謀が大当たり。無警戒な晃介は、古都を自宅近くまで送り届けるという軽率な行動を取り、古都ママに遭遇してしまう。
...まあ、古都からの警告がなくても、彼女の自宅付近の住宅街を、二人連れでウロウロしている時点で、晃介さんには秘密を守るセンスが丸っきりないことが分かってしまうよねえ。娘・美也は、父と古都との関係を早々に勘付いていたし、第25話では、晃介の部下が、如月とは晃介の「彼女」のことと喝破し、彼を「わかりやすい」と評していたし。

「娘の友達」講談社(萩原あさ美著)第25話「それぞれの夕食」から引用

そんな、「わかりやすい」晃介を、古都様はお好みなのだろう。もちろん、いじりやすいから、だろうが。
筆者にとって意外だったのは、古都ママは今話で初めて、古都がラブレターを宛てた晃介とは、美也パパのことだと認識したようであること。古都に関する情報収集は万端の毒ママと思っていたのだが。それだけに、まだトボケるチャンスがあったのに、古都ママの問いに何の疑問も抱かず、率直に自分の名前を告げる晃介がイタい。なんでこの人が、勘の良い美也ちゃんの父親なのか(笑)。
可哀そうだが、今後は古都ママから監視されるとか、証拠をつかまれて学校・警察・職場・児童相談所に通報されるとか、晃介にとって最悪の展開もありうる事態。だが彼はまだそれに気づかない。
それもこれも、古都様の与えたもうた試練であれば、乗り越えてみせよ、晃介。

「月」とは何?

晃介から返された写真のうち、古都が見入る写真は二葉。SHIGERUでの晃介とのツーショットと、月の写真だ。ツーショットの方は理解できるとして、月の写真の方は、何故なのか。いーじゃん、水族館の半券の写真でも、新聞読んでる晃介の写真でも。なぜ月?
晃介にとって月とは、自分と古都の共通の被写体であり、二人が同様の写真を撮っていたというその偶然性から、古都との因縁を確認する媒介であった(第33話)。しかし今話では、古都は自分と晃介の二人がそれぞれに同様の月の写真を撮っていた点に気づき、感動した...と示すような描写はない。そこで著者の意図は、月そのものを象徴的に示すことにあったと仮定して、考えてみたい。
月が二人の間に介在する描写は、作品中何度か描かれている。初出は、第21話「同じ月はみている」だろう。


「娘の友達」講談社(萩原あさ美著)第21話「同じ月は見ている」から引用

古都と晃介がそれぞれの自宅で、偶然に同じ月を見ている場面は詩的で美しく、筆者は好きだ。だがそれは表面的な理解なのかもしれない。
同じ月「を」見ている、ではなく、同じ月「は」見ているというタイトルなのは、なぜだろう。二人の行動からは、「同じ月を見ている」の方が、自然でしっくりくる。ところが著者は、月が二人を見ていると言うのだ。
月とは、二人の宿命的な関係性の象徴であると、筆者は解したい。人が月を見ることは、人の意思でやめることができる。だが二人を照射する月は、どこに隠れても逃れようがない。惹かれ合う二人の関係性の背後には、同じアダルトチルドレンという宿命があり、それが容易に拭い去ることができないのと同じように。
第21話の月は、古都が市川邸を訪ねるという、ビッグイベントを従えている。
第27話では、親友であり晃介の娘でもある美也に晃介との関係が知られた後、古都は晃介に尋ねている。

「今日の月って...
...綺麗ですよね」

彼女の問いは、美也に知られたとしても、二人の宿命性に変わりはないとの隠喩として理解できる。だから古都は「良かった」と、笑顔で晃介の答えを喜ぶ。古都は翌日から、晃介にあててLINEのメッセージ送信を再開している。
第33話では、第27話以降連絡を絶っている晃介に、月が見えないとの趣旨のメッセージを送信している。続く第34話で晃介と再会した古都だが、まだ月が見えないタイミングで、態度はよそよそしい。今第35話で写真上の月を見てから、徐々に古都の態度はほぐれていく。すると、夜空に細く上弦の月が光るのだ。
月が二人の宿命を照らし出す
象徴であることを、古都は正しく認識しているが、晃介は分かっていない。もしかすると、古都ちゃんが自分の名前の一部に「月」を持っているというのも、著者の意図するところなのかも。古都は月は天意であり必然であると理解しているが、晃介は天体の運行がもたらす偶然としか分からない。だから、古都には、このタイミングで月の写真が現れたという天啓が重要で、晃介には二人が同じような月の写真を撮ったという偶然が重要だということになる。もー月の写真の解釈からして、二人の間には天地ほどの違いがあるらしい。
古都が重視する文脈を凡夫の晃介が理解できないというのは、作品を通して描かれるモチーフで、古都様の神秘性を高めている。だよね?
(つづく)

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2020/02/29

【娘の友達】第28話「ふりだし」-古都パパ登場! 性的虐待は無し...?

あらすじ

如月古都の父母は、自宅リビングルームで寛ぐが、古都は門の脇で手持無沙汰。玄関で母がすがって止めるのも甲斐なく、父はまた家を出ていってしまう。泣き崩れる母の手を取る古都。市川晃介は、まだ美也が戻らない自宅に着くと、着信した古都からのメッセージを削除する。

古都ママの毒性

古都の抱える家庭の事情の一端が、また明らかになる。
古都の父は帰宅することはあっても、長くはいつかず、母以外の女性との交際があるらしい。如月邸は総二階の洋館で、坂道に面して建つ...こういうの、山の手っていうの?。家構えや身に着けているものなどから、例えば市川家などよりも如月家の家計は裕福である印象を受ける。従って古都パパは、愛人が囲えるだけの経済的余裕があるということらしい
古都ママは、古都パパの前では、明らかに、古都を疎んじている。第21話「同じ月は見ている」では、古都と母の次のような会話がある。

「日曜日 
久しぶりに
お父さんが帰ってくるのよ
もちろん
あなたは
お父さんと
一言も
話さないわよね?」


「娘の友達」講談社(萩原あさ美著)
第21話「同じ月は見ている」から引用

「うん...」
「あんな人と
話したら駄目よ
あんなのほんと
ろくでもない男
なんだから」

「もちろん」の一言から、「父と話すな」というのは古都ママが古都に課した恒常的なルールであり、それを念押ししたことが分かる。古都は古都パパが帰宅するたびに、古都ママに追い出されるのだろう。古都を話題にする夫に、古都ママがいら立つような描写もある。古都も古都パパも、古都ママは独占しなければ気が済まないようだ。
すがりつく古都ママを
古都パパが振り払い、再び家を出ていくと、彼女は人目をはばかることもなく、玄関の外に突っ伏して、声を上げて号泣する。年甲斐もなく、泣き声で母を呼ぶ子の様に。母親としての人格が未熟であることが窺われる。

「あなたは
本当によく出来た
良い子になったわ」

なだめる古都を、古都ママはそう誉める。自分が旦那とお茶を飲む間は外で待ち、自分が傷ついたときは慰めてくれる娘。古都ママが古都の価値を認めるのは、自分の都合の良いように動いてくれるときなのだ。逆に、古都が独自の人格で、自分の知らない行動をとることを、彼女は許していない。
やはり十全に機能している家庭ではない。


待つ古都
古都が門の外で待っていたのはなぜだろうか。こんなメンドくさい母親にかかわりたくないとすれば、もっと距離をとり、近所の公園とかコンビニにでも行って、時間をつぶせばよいではないか。
しかし古都は、父に傷つく母を、すぐに慰められる距離で待機した。古都ママの身勝手な誉め言葉に、一瞬、反抗の表情を見せるが、結局彼女の手に自分の手を重ねる。
晃介を子犬に例える古都には、傷つき泣きわめく母もまた、そのように見えるのだろう。この母には、娘の自分が必要なのだ、と。母と共依存の関係にある古都が描写されている。


「娘の友達」講談社(萩原あさ美著) 第6話「ゲームしましょうか」から引用

古都は、母親の抱いた負の感情を吸収する役割を家庭で負わされてきた。そこまで尽くしても、古都ママからは、古都パパに次ぐ序列でしか遇されない。古都パパがいれば、古都は不要なのだ。それが自分の価値であると思わされてきた。古都の自己肯定感の低さの理由は、そこにあるだろう。
晃介の負の感情を処理するためにスキンシップを多用するのも、
母を落ち着かせるために身に付けたやり方を、そのまま晃介に向けているのではないか。自分にはそうするぐらいしかできないし、それが自分の価値であり仕事だと、無意識に、反射的に、体が動いてしまうのではないか。共依存の傾向は、古都と晃介の関係にもあるとみなければならないだろう。それが古都にとっての愛のカタチとすれば、やるせない。

初登場の父親
古都パパの心は、すでに古都ママを離れている。帰宅しても妻との会話に積極性が感じられない。
表情がほとんど窺えず、ミステリアスな印象の古都パパ。古都ママの言いつけを守ってか、古都は父親と一言も言葉を交わさない。

「お前は
小さいころから
何も変わらないな...」

古都パパが彼女に向けた言葉は、何を意味するのだろう。古都が幼少の頃から、古都ママの言いつけを従順に守り、古都パパとのコミュニケーションを取ろうとしないということなのだろうか。古都の表情は素っ気なく、感情が読みとれない。
古都パパは、恐らく、妻の下から逃げ出したのだろう。家庭に残した古都が気がかりでたまに帰宅するが、古都がいなければすぐに立ち去ろうとする。古都ママも、夫の帰宅が古都目当てと何となく分かっているから、彼女に嫉妬し、疎んじる。
古都は、家庭を捨てた父親の想いが受け容れられないのだろうか。自分にだけ、毒ママを押し付けやがって、このやろー、みたいな。だから白けた表情なのかな。

秘密を妄想(ハズれっぽい、良かった♪)
サブタイトルの"L'un des grands secrets d'une femme fatale." (ファム・ファタールの大きな秘密)とは何であるかについて、読者はあれことれ憶測を広げずにはいられない。第1話についてのブログでは、「古都は初めから晃介狙い」仮説を書いた。
実は、まともな商業誌連載で陰惨なハナシにはしないだろうと思いつつも、筆者が心配していたのが、父親からの性的虐待。古都ママみたいな女性だと、離婚歴の一回ぐらいあるかもしれない。古都は前夫との間の子だったりすれば、夫が妻の連れ子にチョッカイ出すというのも、あるのではないかと。で、古都ママには「秘密」ということで。ナボコフの「ロリータ」みたいに。
だってねー、あれだけスリスリ、くんくん、濃密なスキンシップで晃介を逃げられなくするんだから、すでに男を知っていると見ても不自然ではないよね。古都ちゃんの、真っすぐなのに歪みが見える性格を説明するにも、説得力がある。
しかしながら、第28話で父を見る古都ちゃんの表情を見ると、嫌悪とか困惑とかの感情がうかがえない。
だから28話以降は、ちょっとだけ安心して物語を読み進めている。

(話数の順に表示する目的で、ブログに標示される執筆日時を操作しています。実際の執筆は2020年3月17日です。)

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【娘の友達】第27話「変と普通」-(仮置き)修羅場にひるまぬ古都さまがカッコ良すぎる件

あらすじ

市川晃介の部下と美也の友人・三崎正一郎も居合わせる中、如月古都がバイトする店先で、晃介と娘・美也の諍いは続いていた。そこへ店を出た古都が現れると、美也と堂々と向き合い、晃介を庇う。翌日、部下と娘からの信用を同時に損ね、古都をも失う結果に消沈する晃介。 






(以下、当ブログ「【娘の友達】第35話『嗅がれる男』-『月』はなぜ見ている?」から引用)
月とは、二人の宿命的な関係性の象徴であると、筆者は解したい。人が月を見ることは、人の意思でやめることができる。だが二人を照射する月は、どこに隠れても逃れようがない。惹かれ合う二人の関係性の背後には、同じアダルトチルドレンという宿命があり、それが容易に拭い去ることができないのと同じように。
第21話の月は、古都が市川邸を訪ねるという、ビッグイベントを従えている。


「娘の友達」講談社(萩原あさ美著)第21話「同じ月は見ている」から引用

第27話では、親友であり晃介の娘でもある美也に晃介との関係が知られた後、古都は晃介に尋ねている。

「今日の月って...
...綺麗ですよね」

彼女の問いは、美也に知られたとしても、二人の宿命性に変わりはないとの隠喩として理解できる。だから古都は「良かった」と、笑顔で晃介の答えを喜ぶ。古都は翌日から、晃介にあててLINEのメッセージ送信を再開している。

月が二人の宿命を照らし出す象徴であることを、古都は正しく認識しているが、晃介は分かっていない。

(話数の順に表示する目的で、執筆日時を操作しています。実際の執筆は2020年3月22日です。)

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