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2020/03/22

【娘の友達】第35話「嗅がれる男」-(つづき)古都はただの匂いフェチに非ず

あらすじ

市川晃介から返された写真に見入る如月古都。彼は古都を自宅近くまで送る。帰途、スマホに娘・美也からのメッセージが着信した直後に古都の母に行き会い、言葉を交わす...

(つづき)

くんくん、わんわんっ

古都さまは、晃介の体臭がお好みのご様子。最初の「くんくん」シーンは第8話。肌の露出もないのに衝撃的なエロさで、筆者に強い印象を残した。マンガに限らなくても、女性が「嗅ぐ」という愛情表現は、あまり見た記憶がない。
晃介は喫煙者で、タバコ臭は婦女子が忌み嫌うものと相場が決まっている。彼は自宅でも普段はベランダで喫煙しているが、亡き妻か娘からそう強いられたからだろう。


「娘の友達」講談社(萩原あさ美著)第12話「親友の印」から引用
晃介のタバコ臭さを指摘する美也の図

それなのに旦那、この高一の娘ときたら、良い匂いだって、顔を寄せてくんくん嗅ぎまわるんですぜ。実の娘も嫌う匂いを。とんでもねーいい子で、とんでもねー匂いフェチで、感動とコーフンの坩堝ですわ。

「娘の友達」講談社(萩原あさ美著)第8話「絆創膏」から引用

分かるよ晃介、筆者とて妻から子から口が臭いと嫌われる中年だ。劣等感を感じていた欠点こそが好きだと態度で示されれば、「こいつは変態」と思ったとしても、心が動かない男はいないと思うぞ。
以後、「くんくん」シリーズは、第23話、今第35話で登場している。だんだんと描写がおとなしくなり、35話では鼻を鳴らすことなく、晃介の匂いを嗜まれておられる。
さて、これを、父が寄り付かない家庭で育った古都が父性に飢えてタバコ臭にフェティシズムを感じているとか、晃介の劣等感を見透かして彼の歓心を買おうとしているとか解釈しても、もちろん間違ってはいないだろう。が。

嗅ぎつけた

「嗅がれる男」が今第35話のタイトルだ。「嗅がれる」との意味の一つは、もちろん古都の「くんくん」であり、またもう一つは、古都ママが古都の交際相手を「嗅ぎつける」ことだろう。
ちなみに各話のタイトルに二重の意味を持たせる手法は、著者が好むところらしい。第30話「押しつけ」、第29話「破棄」、第20話「モテそうですよね」、第11話「お礼」、第10話「目印」などが該当するだろう。
で、何が言いたいかというと、古都もまた晃介に何かを嗅ぎ当て確かめようとしているのではないか、ということ。何を?  自分が仕掛けようとするゲームのプレイヤーとしての適性が、晃介にあるのかどうかをだ。自分に世話を焼かせてくれるのか、自分を頼ってくれるのか、トラブルにも逃げ出さずに自分を想ってくれるのか、等々。考えてみてほしい。読者は晃介のような経験に耐えられるだろうか。この女の子はヤバいと思って逃げ出すか、彼女の肉体をつまみ食いして逃げ出すかの、どらかではないか。野卑であってもそれが現実、それが「普通」だ。
個人的な経験で実に恐縮だが、筆者は実際にアダルトチルドレンと思しき女性と、付き合ったことがある。自分自身にも、少しはアダルトチルドレンの要素があるのだと思う。相手の成育歴などを聞いたわけでもないのに、二人は天の配剤、月が企んだがごとくに出会い、猛烈に惹かれあう。リクツを超えた、超自然的とも思える何かの力が、アダルトチルドレンのカップルに働くことは、確かにあるのだと思う。
古都が晃介の体臭を嗅ぐのは、味わうためだけではない。麻薬犬のように、嗅ぎ当てようとしているのだ。彼に何らかの素質が備わっているのかどうかを。その比喩としての表現だろう。

これが、第8話を読んだときに筆者が抱いた感想だ。

古都の想い

古都と晃介は、その関係を美也に知られたことがきっかけで、交際が一度は破綻した。だが晃介は結局、仕事と家庭の不首尾から、古都の元に逃げ帰ってきた。それを古都は知ってはいないが、この男とはまだゲームができると再確認したのが、晃介の匂いを嗅ぐという行為なのではないか。そうして初めて、古都の顔にはかつての生気がもどる。
だが、それはもちろん「普通」の恋ではない。

「晃介さん...
私に会いたかったですか?」
「...うん」
「ふふ...
うれしいです」


古都さまたる者、晃介に会えて嬉しいとは、決して言わない。
読者は既に気づいているだろう。古都は、晃介を好きだとは、一度も打ち明けたことがない。
第15話から16話にかけて、古都は何度か晃介に「好きですか」と問い、全裸で迫る反則技で、ついに晃介に「好きだ」と言わせた(第16話)。ここまでされたら、もう「好きだ」と言うしかないじゃんね。言わなきゃ帰してくれなさそう(笑)

「娘の友達」講談社(萩原あさ美著)第15話「お願い」

アダルトチルドレンは、自己肯定感の低さから、相手よりも優位に立とうとする思いが強いという。これまでも古都には、晃介に対し優位性を示そうとするような言動があった。「また貼ってあげますね」(第10話)、「また遊びましょうね」(第8話)、「おいで」(第5話)などは、晃介よりもずいぶん歳下の古都の言葉遣いとしては、やや不適切だ。「おいで」って、犬じゃないんだからさ。いや、犬みたいなもんだと思ってるんだろうけど、口に出しちゃダメでしょ。

お互いが対等に惹かれあうのが恋愛の理想とすれば、古都の晃介に対する接し方は、想うよりも想われたいという恋愛黒字を前提としていて、歪なものとなっていはしないか。
恋愛には色々なカタチがあるだろうから、そんなのは恋愛でないとは言わない。だが如何にも危なっかしい。古都さまが本当に晃介に惚れているかどうかは、まだ予断を許さない。

2020/03/20

【娘の友達】第35話「嗅がれる男」-「月」はなぜ見ている?(つづく)

あらすじ

市川晃介から返された写真に見入る如月古都。彼は古都を自宅近くまで送る。帰途、スマホに娘・美也からのメッセージが着信した直後に古都の母に行き会い、言葉を交わす...

はかりごとが大当たり

自分と晃介の関係が母に知られたことを、古都は敢えて彼に知らせていない。これは古都が無意識に、晃介を更なるトラブルに巻き込もうとしているためだー前第34話について、筆者はそう指摘した
早速、古都様の冴えた謀が大当たり。無警戒な晃介は、古都を自宅近くまで送り届けるという軽率な行動を取り、古都ママに遭遇してしまう。
...まあ、古都からの警告がなくても、彼女の自宅付近の住宅街を、二人連れでウロウロしている時点で、晃介さんには秘密を守るセンスが丸っきりないことが分かってしまうよねえ。娘・美也は、父と古都との関係を早々に勘付いていたし、第25話では、晃介の部下が、如月とは晃介の「彼女」のことと喝破し、彼を「わかりやすい」と評していたし。

「娘の友達」講談社(萩原あさ美著)第25話「それぞれの夕食」から引用

そんな、「わかりやすい」晃介を、古都様はお好みなのだろう。もちろん、いじりやすいから、だろうが。
筆者にとって意外だったのは、古都ママは今話で初めて、古都がラブレターを宛てた晃介とは、美也パパのことだと認識したようであること。古都に関する情報収集は万端の毒ママと思っていたのだが。それだけに、まだトボケるチャンスがあったのに、古都ママの問いに何の疑問も抱かず、率直に自分の名前を告げる晃介がイタい。なんでこの人が、勘の良い美也ちゃんの父親なのか(笑)。
可哀そうだが、今後は古都ママから監視されるとか、証拠をつかまれて学校・警察・職場・児童相談所に通報されるとか、晃介にとって最悪の展開もありうる事態。だが彼はまだそれに気づかない。
それもこれも、古都様の与えたもうた試練であれば、乗り越えてみせよ、晃介。

「月」とは何?

晃介から返された写真のうち、古都が見入る写真は二葉。SHIGERUでの晃介とのツーショットと、月の写真だ。ツーショットの方は理解できるとして、月の写真の方は、何故なのか。いーじゃん、水族館の半券の写真でも、新聞読んでる晃介の写真でも。なぜ月?
晃介にとって月とは、自分と古都の共通の被写体であり、二人が同様の写真を撮っていたというその偶然性から、古都との因縁を確認する媒介であった(第33話)。しかし今話では、古都は自分と晃介の二人がそれぞれに同様の月の写真を撮っていた点に気づき、感動した...と示すような描写はない。そこで著者の意図は、月そのものを象徴的に示すことにあったと仮定して、考えてみたい。
月が二人の間に介在する描写は、作品中何度か描かれている。初出は、第21話「同じ月はみている」だろう。


「娘の友達」講談社(萩原あさ美著)第21話「同じ月は見ている」から引用

古都と晃介がそれぞれの自宅で、偶然に同じ月を見ている場面は詩的で美しく、筆者は好きだ。だがそれは表面的な理解なのかもしれない。
同じ月「を」見ている、ではなく、同じ月「は」見ているというタイトルなのは、なぜだろう。二人の行動からは、「同じ月を見ている」の方が、自然でしっくりくる。ところが著者は、月が二人を見ていると言うのだ。
月とは、二人の宿命的な関係性の象徴であると、筆者は解したい。人が月を見ることは、人の意思でやめることができる。だが二人を照射する月は、どこに隠れても逃れようがない。惹かれ合う二人の関係性の背後には、同じアダルトチルドレンという宿命があり、それが容易に拭い去ることができないのと同じように。
第21話の月は、古都が市川邸を訪ねるという、ビッグイベントを従えている。
第27話では、親友であり晃介の娘でもある美也に晃介との関係が知られた後、古都は晃介に尋ねている。

「今日の月って...
...綺麗ですよね」

彼女の問いは、美也に知られたとしても、二人の宿命性に変わりはないとの隠喩として理解できる。だから古都は「良かった」と、笑顔で晃介の答えを喜ぶ。古都は翌日から、晃介にあててLINEのメッセージ送信を再開している。
第33話では、第27話以降連絡を絶っている晃介に、月が見えないとの趣旨のメッセージを送信している。続く第34話で晃介と再会した古都だが、まだ月が見えないタイミングで、態度はよそよそしい。今第35話で写真上の月を見てから、徐々に古都の態度はほぐれていく。すると、夜空に細く上弦の月が光るのだ。
月が二人の宿命を照らし出す
象徴であることを、古都は正しく認識しているが、晃介は分かっていない。もしかすると、古都ちゃんが自分の名前の一部に「月」を持っているというのも、著者の意図するところなのかも。古都は月は天意であり必然であると理解しているが、晃介は天体の運行がもたらす偶然としか分からない。だから、古都には、このタイミングで月の写真が現れたという天啓が重要で、晃介には二人が同じような月の写真を撮ったという偶然が重要だということになる。もー月の写真の解釈からして、二人の間には天地ほどの違いがあるらしい。
古都が重視する文脈を凡夫の晃介が理解できないというのは、作品を通して描かれるモチーフで、古都様の神秘性を高めている。だよね?
(つづく)

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2020/03/14

【娘の友達】第34話「再会」-再会を喜ばない古都は、秘密を作る...

あらすじ

市川晃介と如月古都は再会を果たす。古都のスマホに母から架電があるが、晃介はそれを切り、古都を抱きしめる。

無感動の再会

晃介に何度もLINEのメッセージしても無視され、挙句はその晃介との関係が母に知れ、家を飛び出してきた古都さま。さぞ心細かろう、晃介が現れたら再会を喜び、きっと泣いて抱き付く...とか思った読者はいなかっただろうか? ところが 古都は意外過ぎるほど無表情で冷静に晃介を迎える。彼女から晃介に近寄ることもなく、いぶかしむような表情さえみせる。これはどういうことだろう。考えてみたい。


逆転

古都の意表を突く言動にその真意を測りかね、晃介が目を見開いて一瞬絶句するのが、このマンガの黄金パターン。この怖さを、読者は楽しみにしている(よね?)。今回は古都が、晃介の言葉に俯き、暫く沈黙し考えるような表情が繰り返される。こういう古都の描写は本作品では珍しく、古都の同様な表情は、晃介に「迷惑なんだよ」と言われたとき(第23話「ひとひと」)ぐらいじゃないだろうか。

「娘の友達」講談社(萩原あさ美)第23話「ひとひと」から引用

このときと同様、
古都は、恐れている。晃介の真意を測りかねている。

「どうして
今日は来てくれたんですか」
(私を捨てたのに)

古都の問いに、晃介は古都を全然ちゃんと見れてなかった」と謝るが、彼女にとっては唐突な言葉で、納得した風でもない。晃介に、再び自分を頼る何らかの事情があったことを見透かす風でもある。


愛される恐怖

第23話以来、古都は晃介の好意を失ったと感じている。父が自分と母を捨てたように、晃介「も」やがて自分を捨てるに違いないと考えるのは、トラウマを抱えながら生きるアダルトチルドレン(AC)である古都にとっては、自然なことなのだろう。彼を愛してはいるが、信じ過ぎては、その時が辛すぎる。現に一度、彼は一度自分を捨てようとしたではないか。晃介の積極的な態度は、彼がやがて自分を捨てる時の痛みを倍加する。だから彼女は、それを喜ぶどころか、逡巡する。

※古都の自己肯定感の低さについては、「【娘の友達】第28話「ふりだし」-古都パパ登場! 性的虐待は無し...?」で考察しているので、併せてお読みくださいませ。

古都が晃介に執着するのは、彼がまともに古都と向き合わない大人だからだ。破局が予定されているからだ。ちゃんと見てくれない程度でいいのに、そうすると言う晃介の言葉を、古都は正しく喜べない。

「娘の友達」講談社(萩原あさ美著) 
第24話「穴のあいたクッキー生地」から引用
「たぶん その人
私のこと好きじゃないから」
「その人も...かな」

第24話「穴のあいたクッキー生地」で古都は、晃介をこう評している。仮に、前話での晃介との諍いがなかったとしても、これが古都の晃介に対する想いだろう。
古都は晃介に、自分をストレスのはけ口とすることを提案し、許してきた。それは彼女が家庭で母から強いられてきた役割と同様で、人と密に付き合おうとするとき、ACの彼女はほかに手段が思いつかない。自分の魅力や価値とは、その程度のものとしか認識できていない。

「娘の友達」講談社(萩原あさ美著) 
第4話「108号室の温度」から引用。

「好きです」と告白した男子生徒を、私そういうの よくわからなくて」と断っているのは、古都の方便というだけではないだろう(第20話「モテそうですよね」)。自分は普通のハッピーな恋愛はできないし、するべきでないと、自分を低く認識しているのではないか。そう考えると、仔犬と中年男を同列に並べ接近しようとする彼女の心に、少し近づける気がする。
ACとしてもがく彼女には、どのような幸せがありうるのだろうか。
※同様の考察として「おじさん」氏のアマゾンレビューが参考になる。


奇妙な会話

二人の会話が噛み合わない。
晃介は、しばらくLINEのメッセージすら無視していたのに、この日はなぜか古都のもとに駆け付けた。その本当の理由を答えていない。娘の美也が家出し、それがもとで社用を忘れる失態を演じてしまい、晃介にとって、家庭も仕事も今はドン底にある。古都だけがわずかに自分を理解し慰めてくれる存在であることを再認識し、走ってきたのだとは答えていない。
古都は猫の路地に「なんとなく」来て、晃介のスマホにメッセージを送り続けた。その理由を答えていない。この日、破棄したつもりだった手紙が母に見つかり、晃介との関係が知れて家を飛び出してきたのだとは、答えない。
二人はお互いに、破局的な状況にあることを、あえて語らない。それにお互いが気付きながら、それを咎めず、受け容れている。この後、すぐにも崩れる関係かもしれないが、それだけに今がすべてだから、それでいいというように。恋愛関係としては互いが秘密を持ち、刹那的で、健康とはいいがたい。だからこそ切なく、美しい。


ファム・ファタールのちょっとした秘密

(2020.03.16本段加筆)
まあ、家庭と仕事でうまくいかなくてメンヘラ寸前というのは、晃介個人に帰する事情としても。破棄した手紙を毒ママに見つかり、二人の関係が知れたという古都の失態は、古都だけの問題ではない。晃介に積極的に知らせ、警告すべきなのに、古都はそうしない。

代わりに古都が持ち出すのは、SHIGERUでバイトできなくなったという話。古都がひっきりなしにLINEを送ってきたのは、そのためだったかと、晃介は理解しただろう。
だが、古都ママに知れたという二人の危機の前では、そんなのどーでもいーっちゃどーでもいー話だ。大体、祖父のケガの軽快を口実に、母がバイトを辞めさせたというが、古都ママに見つかった手紙を見なさいよ。

喫茶店以外で会えるのは水族館の日以来ですね。」
(33話「タイムカプセル」)

そう書いてあるじゃん。おじいちゃんのケガの件がなくても、SHIGERUが晃介との接点であると毒ママに知れた以上、バイトを認めなくなるのは明らかなことで、そちらの方が重要な情報。
古都は一つのウソもつかずに、晃介に誤信を与え、本質的な危機の存在を隠ぺいすることに成功した。古都ママへの警戒を欠いた晃介は、そのうち古都ママにコテンパンにやられてしまうのか。
人をコントロールする術において、ウソをつけない性格の晃介とは、端から比べものにならないAC古都さま。無意識にだろうが、こういうことをやってのけるところが真骨頂。
晃介をトラブルに巻き込み、疲弊した彼からパワーを得る。トラブルで傷つく晃介に癒しを与えることで、自分の価値を確認する。この辺の話は、
第33話についてのブログに書いたから、これ以上は省く。
トラウマにのたうつAC古都ちゃんを愛することは、命がけの仕事になりかねない。フツーの人なら、手を引く。
だが筆者は、古都さまのそういうところが愛おしくてしょーがない。彼女も彼女なりに、「生きることに一生懸命」なのだ。晃介が忠実な仔犬なら、古都さまは奔放な子猫ちゃんだろうか。そういえば、初期の設定画にはそれぞれ犬と猫のマークみたいなのが添えられていたね。


因果は巡る

「お母さんは...
私がいないと
寂しくて死んじゃうんです」


母には自分が必要であることを主張してみせる古都。毒ママとACの共依存関係は一目瞭然。
しかし、かつてこの路地から新幹線で晃介とともに逃げたあの日、古都はこう言っていた(第7話「うるさいなぁ」)。

「お母さんが
うるさくて
...バカみたい
上辺ばっか気にして
ほんと
息がつまる...」


「良い子」と「悪い子」が共存する古都の内面。古都がこの場所でかつて、本当にやりたいことは何かと晃介に問うたように、晃介は彼女の本心を問う。あの日、古都が晃介のスマホの電源を切らせたように、晃介は古都の母からの着信を切るため、古都のスマホを取り上げる。
古都に駆け寄り、初めて自分から抱きしめる晃介(全裸の古都に迫られて抱きしめたことがあるけど、あんなのノーカウントだよねー)。それは、離れてしまった古都との距離を、再び、縮めるためでもあるだろう。

しっかし、晃介は今後、本当に古都の窮状を全て受け止めきれるのだろうか。あの日、逃げようと古都が言ったように。今更、児童相談所に行けと言うわけにもいくまい。
二人の関係を知った古都ママが黙っていないのは、目に見えている。社会的にも家庭的にも、へたすりゃ法的にも、危ない橋を渡り続けなければならない。どうする晃介。
次号もドキドキしたいですよね!?





https://t.co/70daQbBITW
— 市川晃介 (@ZdK9dyOsUjHnf5z) March 12, 2020


2020/03/08

Twitter 覚え書き 「娘の友達」



【娘の友達】第33話「タイムカプセル」-古都はなぜラブレターを「見つけさせた」のか

あらすじ

市川晃介は、如月古都の撮った写真を見る。それぞれの写真には、晃介を始めとした、古都の日常の周辺が収められている。写真を通じて、古都との繋がりに感じ入る晃介。古都の母は、古都と晃介との関係についての確証を得て、彼女に詰問する。古都からのメールを見た晃介は、彼女の元に走る。


走る晃介


古都が「写〇ンです」に収めていたものは果たして何か。そこに「「ファム・ファタールの大きな秘密」が隠されているのか...という引きで終わった前回。しかしフィルムの内容は、SHIGERUでの晃介のスナップを始めとする、いかにも恋する乙女が撮りそうな写真。スリリングなストーリー展開に比べると、拍子抜けするほど平和な内容。古都が晃介との写真を「宝物のタイムカプセル」と称したのは、偽りではなかったようだ。 二人とも月という共通の被写体を撮っていたことに気づいた晃介は、「呼吸ができる気がした」と独白する。因縁めいた出来事で通じ合う心を晃介に感じさせることは、この後、古都の元に躊躇なく駆け付ける動機付けとして、確かに説得力はある。
しかし古都ちゃんファンの筆者にとっては、晃介が選んだ服を着て初々しくはにかむ彼女の写真の方が、はるかに魅力的で美しいエピソードだ。交際するようになってから初めて晃介宅を訪ねる特別な自分を写真に残し、思い出として「タイムカプセル」にそっとしまい込む。胸がキュンキュンするわ。


よく読み込むと、↑このように美也と古都の言葉には相互に矛盾があるのだが...あまり深く追及せず、「交際後、初めて」という意味に解釈しておこう♪
「娘の友達」講談社(萩原あさ美著)
第19話「軽はずみな同意」から引用

なぜ手紙は見つかったのか
一方、古都は、自分が破り捨てた晃介宛ての手紙の内容が母に知られ、咎められる。「美也」、「晃介」、「水族館」という、母にとっては心当たりのあるキーワードが並べられた文面を突き付けられた古都は、言葉を失う。そりゃー「二人っきりになったら」晃介が怯み、「結局何もしてくれなくて」などと書いた手紙が見つかったら、普通の関係の母娘でも、大いに揉めるだろう。いわんや如月家においてをや。


「娘の友達」講談社(萩原あさ美著)第17話「迂闊な半券」から引用

何もしてくれない晃介の図


機能不全の家庭では、お互いの人格の境界があいまいで、プライバシーが保たれない。家族から離れることは見放すことで、許されざる行いだ。というわけで、古都ママのルールに触れた古都は家を飛び出す。
だが、ちょっと待ってほしい。古都は自室で手紙を破った後に、紙吹雪のように上に放り投げている(第29話「破棄」)。この後で紙切れを拾い集めたのだとしても、母親が容易に見つけられるように自室に留め置いたのは、古都の過失だろう。水族館での晃介とのデートを尾行してくるような母で(第15話「お願い」)、決して秘密を作ることは許さない人格であることを考えれば、いかにも軽率ではないか。錯誤行為には無意識が関与しているというのはフロイト以来の古典的な考え方で、古都にも無意識にそうさせた何かがあったと見るべきだろう。
手紙を破り捨てたのは、晃介とのLINEを通じての連絡が取れなくなった時期にあたる。彼との関係が続かないなら、彼を通じて「ドキドキ」する、つまりトラブルすれすれの状況もなくなってしまう。
おそらく機能不全家族の如月家においては、トラブルが頻発し、家族間のイザコザが普通のことなのだろう。その中で古都の恋愛もゆがんだものとなっており、日常にトラブルを持ち込んでしまう。晃介をカラオケ、新幹線での逃避行、ホテル利用に巻き込んだのは、古都が母の支配する日常から逃れたいという理由だけではない。人をトラブルに巻き込むことに躊躇がなく、だからそれは一途にも見え、古都自身もそれを恋愛感情の発露だと信じている。だが、巻き込むことで晃介からパワーを得る古都に、常人は、その性格にある種の歪みを感じる。本作品が、美しくも底知れない不穏さを感じさせる理由の一端は、そこにある。
さて、晃介を失ってしまっては、古都は母親に支配されるだけの日々にもどってしまう。だが母が手紙を見たなら、きっと晃介と自分との関係を断とうとするだろう。必ずしも自分は母の支配下にいるばかりでないと示す反抗でもあり、晃介を再びトラブルに巻き込む触媒として母を利用するためでもあり、自分のために疲弊する晃介の姿を見て力を得るためでもある。...このようなはかりごとを無意識にやってのけるという、古都が本来的に持つ常人ばなれした恐ろしさに、筆者はゾクゾクするのだ。変態です、すみません。


「普通の再会」はあるのか

古都からのメッセージが着信しても、それを読むことは頑なに拒んできた晃介。だが古都の撮った写真を見て、古都の想いを信じるようになった-というか、もうそこにしか救いがないというのが本当なのだが-晃介は、メッセージを読み、古都の元へと街を走る。
二人の再会は感動を呼ぶのか、それとも戦慄させる不穏なものとなるのか。
ドキドキしたいですよね!?


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2020/03/01

「娘の友達」 第32話「あえぐ魚」 写真には古都の秘密が映っているのか

あらすじ

娘・市川美也が心配で仕事が手に付かず、市川晃介は如月古都の幻覚を見るほどまでに精神的に追い込まれる。古都が持っていたレンズ付きフィルムのプリントを店から受け出す晃介。


限界を迎えた晃介

古都ちゃんに惚れている筆者としては、もーいい加減、おっさんでなくて、古都ちゃんを見せろと言いたい。第30話からこっち、連載期間にして3週間も、ロクに古都ちゃんが登場しない。古都のいない生活を選択しようとしていた晃介も、今話で限界を迎えた。これが古都ファンの読者と晃介の、古都に対する飢餓感をシンクロさせる仕掛けだとすれば、やられました(笑)。

企業の管理職としても、家庭の良き父としても、晃介は努力してきた。両方を完璧に務めようとして疲弊してきたのに、今やそのどちらも失敗した彼に、何が残されているか。会社にも行かず、牛丼の吉野家で呆ける晃介は、古都を幻覚に見る。組織人として、父として以外の人格を認めてくれた古都への依存を深める晃介だが、今はもう古都もいない。
彼が何事にも手を抜かず、だからこそ疲れることに気づいて「こうでなければならない」という思い込みから逃れようとするようになったのは、古都の力によるものだ。しかし、アダルトチルドレンを内部に宿す者同士の恋愛は共依存と紙一重で、危うさを感じさせる。晃介と古都の交際は、建設的なものになるのだろうか。
晃介が古都の「写ル〇です」から現像したプリントを持参する場所は、第10話「目印」で、かつて古都から呼び出されて会った同じ公園の同じベンチだ。この演出は、古都の撮った写真を見る晃介の感傷を美化するためか、それとも十代じゃあるまいし、このおっさん大丈夫なのと、読者に思わせるためか。



「娘の友達」講談社(萩原あさ美)
第10話「目印」から引用

晃介は当初、あえて写真を店に受け取りに行かず、そうすることでフィルムを処分するつもりだった。それは古都への想いを断ち切るのと同時に、そこに写っているものを見るのが恐ろしかったからではないか。第21話「同じ月は見ている」で、自分と古都の関係を「まさか美也にばらすつもりじゃないよな...?」と、晃介は自宅に美也を訪ねる古都の真意を測りかねている。第22話「10分だけ」でも、「俺がいないところで もし変なこと話されたら」と、古都の美也に対する言動を心配している。第23話「ひとひと」では、家族の写真を「写ル〇です」で撮影していた古都に、「迷惑」と言っているが、その写真をどう使うのかという疑念があったのだろう。古都を頼りながら、古都を信頼しきれていたわけでないのが、晃介の恋の苦しさの要因の一つだ。
古都への飢餓感にあえぐ晃介は、写真を見ることをついに決意した。
読者も古都の真意を掴めていないため、写真に何が映っているのか、固唾を飲んで次回を待つエンディングとなっている。古都ちゃんが見たい、でももしかしたら、とんでもない 「ファム・ファタールの大きな秘密」が映り込んでいるの? なんて...うまいよね。

『娘の友達』 第31話「娘の家出」 大の大人が半狂乱で仕事を忘れて娘を探す。これは美談なのか、それとも

あらすじ

市川晃介は、家を出た娘・市川美也を追い、渋谷を翌朝まで探し回り、大切な社用を忘れてしまう。美也はボーイフレンド(?)の三崎正一郎を頼って逢う。


家を出た美也は正一郎を頼って落ち合う。かつて晃介が古都と現実逃避したように。
晃介にはLINEで「友達の家にいるので心配しないでください」と美也からのテキストが入る。友達とは正一郎だろうか。それは晃介がいちばん心配していることなのだが。美也もそれを十分に知りながら、こんなメッセージを寄越したのかもしれない。娘の心配など考えずに晃介は如月古都と逢っているのだから、娘の自分が誰かとどこかにいても、貴方が心配するようなことではないでしょう、と。フツーの言葉のようでいて、晃介のような娘べったりの親父には突き刺さる刃だね。
考えてみれば、正一郎もまた「娘の友達」であるわけで、このタイトルが古都だけを意味するものでないとすれば、三崎はストーリーを大きく動かすもう一人のプレーヤーになるのかもしれない。第19話「軽はずみな同意」で、三崎は「あの如月とかいう女 なんかうさん臭いよな」と、古都を評する描写がある。この後、古都が学校で禁止されているバイトに就いていることを彼が知っていると明らかになるが、「うさん臭い」とはそのことを指しているのか、それとも古都のパーソナリティ上の問題を既に喝破していたのか。第27話「変と普通」では、晃介と古都の交際を確信した美也の前で動揺する晃介とは対照的に、古都の高校一年生とは思えない堂々とした対応ぶりを、彼は見ることになる。三崎の印象はどんなものだったたろうか。
娘の家出に対する晃介の動転ぶりは、見るに堪えず、痛々しい。まるで娘の家出は自分の失態であり、それを取り返そうとするかのように、半狂乱になって美也を探し回り、結果として自分の社用を忘れると言う、本当の失態を演じてしまう。晃介は娘と自分の人格の境界を見失っているようで、これもまたアダルトチルドレンとしての性質を表すものでないか。
家出して堕落するとしてもそれもまた娘の人生だ、俺だけの責任でもないし、しゃあない、などと開き直ることは、晃介にはできない(筆者ならそうするが)。警察に相談するということも思いつかないようだ。娘は親の元で、進むべき道を歩まねばならないのだ。彼もまた「こうでなければならない」と、意識しないままに美也を束縛しようとしている。
市川家の平和は、古都だけが乱したのではない。

『娘の友達』第30話「押しつけ」- 唐突にみえる美也の家出。親の押しつけ2連発は何を語るのか

あらすじ

市川晃介の家庭を、群馬に住む父母が訪問する。晃介の娘・美也の養育について叱責し、家業の酒屋を継げと迫る母。その夜、晃介は美也に如月古都との顛末を詫びるが、却って美也の逆鱗に触れてしまう。家を出る美也。

繰り返される問題

晃介の母は晃介にネガティブな言葉を連発し、「どうせいつかは戻ってくるのよ長男だから」と、親の希望を押しつける。晃介の父は、晃介の理解者ではあるが、晃介を擁護はしてくれない。晃介も古都ほどではないにしろ、毒親のもとで育ち、アダルトチルドレン(AC)として生きづらさを感じてきたことが示唆される。
晃介の詫びに、古都との交際については冷静な反応をみせる美也。美也が激したのはそこではなかった。

「おばあちゃん家に引っ越そうって言ったら 
どう思う」
「美也のためなら 
それもアリかなって...」

一見すると美也を気遣うように見えるこれらの晃介の言葉に対し、しかし彼女は言葉を荒らげ、家を出たのだ。

「勝手に...決めつけないでよ!!」
「お父さんは結局...いつも自分勝手なんだよ...!]」

ACは連鎖する。晃介の母親の「押しつけ」と、晃介の美也への「押しつけ」を並置し、世代間で問題が繰り返されることを示す描写は見事だ。
え、この程度で家を出るんだ? 唐突だけど思春期だから、まあそういうこともあるか。そういう読解でもよいのだが、実はストーリーの外で、型にはめようとする晃介の努力が繰り返されていたのではないかと考えてみることもできるのではないか。美也は父親が「いつも」自分勝手だと詰っているのだ。
「決めつけないでよ」と言ってからの美也は、晃介と話し合おうとせず、一方的に荷物をまとめて出ていく。彼女は大人しく親の言うことを聞くタイプではないようだ。だが黒と思ったら折り合いを付けられず、衝動的に行動する。第5話「逃避行」で晃介を連れて逃げたAC、古都と通じる行動だ。

※晃介の母は「釜めし弁当」を持参した。「峠の釜めし」はおぎのやが取り扱っており群馬県内では、「安中春奈駅」、「高崎駅」(以上北陸新幹線)、「横川駅」(信越本線)で販売されている。彼女は「お父さんが電車間違えたせいで...」と言っているが、標準的な語法としては新幹線を「電車」とは呼ばないだろう。そうすると、JR在来線または私鉄で高崎駅まで行き、そこから新幹線を利用する経路で東京方面の市川家に来たのだろうか。

2020/02/29

【娘の友達】第28話「ふりだし」-古都パパ登場! 性的虐待は無し...?

あらすじ

如月古都の父母は、自宅リビングルームで寛ぐが、古都は門の脇で手持無沙汰。玄関で母がすがって止めるのも甲斐なく、父はまた家を出ていってしまう。泣き崩れる母の手を取る古都。市川晃介は、まだ美也が戻らない自宅に着くと、着信した古都からのメッセージを削除する。

古都ママの毒性

古都の抱える家庭の事情の一端が、また明らかになる。
古都の父は帰宅することはあっても、長くはいつかず、母以外の女性との交際があるらしい。如月邸は総二階の洋館で、坂道に面して建つ...こういうの、山の手っていうの?。家構えや身に着けているものなどから、例えば市川家などよりも如月家の家計は裕福である印象を受ける。従って古都パパは、愛人が囲えるだけの経済的余裕があるということらしい
古都ママは、古都パパの前では、明らかに、古都を疎んじている。第21話「同じ月は見ている」では、古都と母の次のような会話がある。

「日曜日 
久しぶりに
お父さんが帰ってくるのよ
もちろん
あなたは
お父さんと
一言も
話さないわよね?」


「娘の友達」講談社(萩原あさ美著)
第21話「同じ月は見ている」から引用

「うん...」
「あんな人と
話したら駄目よ
あんなのほんと
ろくでもない男
なんだから」

「もちろん」の一言から、「父と話すな」というのは古都ママが古都に課した恒常的なルールであり、それを念押ししたことが分かる。古都は古都パパが帰宅するたびに、古都ママに追い出されるのだろう。古都を話題にする夫に、古都ママがいら立つような描写もある。古都も古都パパも、古都ママは独占しなければ気が済まないようだ。
すがりつく古都ママを
古都パパが振り払い、再び家を出ていくと、彼女は人目をはばかることもなく、玄関の外に突っ伏して、声を上げて号泣する。年甲斐もなく、泣き声で母を呼ぶ子の様に。母親としての人格が未熟であることが窺われる。

「あなたは
本当によく出来た
良い子になったわ」

なだめる古都を、古都ママはそう誉める。自分が旦那とお茶を飲む間は外で待ち、自分が傷ついたときは慰めてくれる娘。古都ママが古都の価値を認めるのは、自分の都合の良いように動いてくれるときなのだ。逆に、古都が独自の人格で、自分の知らない行動をとることを、彼女は許していない。
やはり十全に機能している家庭ではない。


待つ古都
古都が門の外で待っていたのはなぜだろうか。こんなメンドくさい母親にかかわりたくないとすれば、もっと距離をとり、近所の公園とかコンビニにでも行って、時間をつぶせばよいではないか。
しかし古都は、父に傷つく母を、すぐに慰められる距離で待機した。古都ママの身勝手な誉め言葉に、一瞬、反抗の表情を見せるが、結局彼女の手に自分の手を重ねる。
晃介を子犬に例える古都には、傷つき泣きわめく母もまた、そのように見えるのだろう。この母には、娘の自分が必要なのだ、と。母と共依存の関係にある古都が描写されている。


「娘の友達」講談社(萩原あさ美著) 第6話「ゲームしましょうか」から引用

古都は、母親の抱いた負の感情を吸収する役割を家庭で負わされてきた。そこまで尽くしても、古都ママからは、古都パパに次ぐ序列でしか遇されない。古都パパがいれば、古都は不要なのだ。それが自分の価値であると思わされてきた。古都の自己肯定感の低さの理由は、そこにあるだろう。
晃介の負の感情を処理するためにスキンシップを多用するのも、
母を落ち着かせるために身に付けたやり方を、そのまま晃介に向けているのではないか。自分にはそうするぐらいしかできないし、それが自分の価値であり仕事だと、無意識に、反射的に、体が動いてしまうのではないか。共依存の傾向は、古都と晃介の関係にもあるとみなければならないだろう。それが古都にとっての愛のカタチとすれば、やるせない。

初登場の父親
古都パパの心は、すでに古都ママを離れている。帰宅しても妻との会話に積極性が感じられない。
表情がほとんど窺えず、ミステリアスな印象の古都パパ。古都ママの言いつけを守ってか、古都は父親と一言も言葉を交わさない。

「お前は
小さいころから
何も変わらないな...」

古都パパが彼女に向けた言葉は、何を意味するのだろう。古都が幼少の頃から、古都ママの言いつけを従順に守り、古都パパとのコミュニケーションを取ろうとしないということなのだろうか。古都の表情は素っ気なく、感情が読みとれない。
古都パパは、恐らく、妻の下から逃げ出したのだろう。家庭に残した古都が気がかりでたまに帰宅するが、古都がいなければすぐに立ち去ろうとする。古都ママも、夫の帰宅が古都目当てと何となく分かっているから、彼女に嫉妬し、疎んじる。
古都は、家庭を捨てた父親の想いが受け容れられないのだろうか。自分にだけ、毒ママを押し付けやがって、このやろー、みたいな。だから白けた表情なのかな。

秘密を妄想(ハズれっぽい、良かった♪)
サブタイトルの"L'un des grands secrets d'une femme fatale." (ファム・ファタールの大きな秘密)とは何であるかについて、読者はあれことれ憶測を広げずにはいられない。第1話についてのブログでは、「古都は初めから晃介狙い」仮説を書いた。
実は、まともな商業誌連載で陰惨なハナシにはしないだろうと思いつつも、筆者が心配していたのが、父親からの性的虐待。古都ママみたいな女性だと、離婚歴の一回ぐらいあるかもしれない。古都は前夫との間の子だったりすれば、夫が妻の連れ子にチョッカイ出すというのも、あるのではないかと。で、古都ママには「秘密」ということで。ナボコフの「ロリータ」みたいに。
だってねー、あれだけスリスリ、くんくん、濃密なスキンシップで晃介を逃げられなくするんだから、すでに男を知っていると見ても不自然ではないよね。古都ちゃんの、真っすぐなのに歪みが見える性格を説明するにも、説得力がある。
しかしながら、第28話で父を見る古都ちゃんの表情を見ると、嫌悪とか困惑とかの感情がうかがえない。
だから28話以降は、ちょっとだけ安心して物語を読み進めている。

(話数の順に表示する目的で、ブログに標示される執筆日時を操作しています。実際の執筆は2020年3月17日です。)

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【娘の友達】第27話「変と普通」-(仮置き)修羅場にひるまぬ古都さまがカッコ良すぎる件

あらすじ

市川晃介の部下と美也の友人・三崎正一郎も居合わせる中、如月古都がバイトする店先で、晃介と娘・美也の諍いは続いていた。そこへ店を出た古都が現れると、美也と堂々と向き合い、晃介を庇う。翌日、部下と娘からの信用を同時に損ね、古都をも失う結果に消沈する晃介。 






(以下、当ブログ「【娘の友達】第35話『嗅がれる男』-『月』はなぜ見ている?」から引用)
月とは、二人の宿命的な関係性の象徴であると、筆者は解したい。人が月を見ることは、人の意思でやめることができる。だが二人を照射する月は、どこに隠れても逃れようがない。惹かれ合う二人の関係性の背後には、同じアダルトチルドレンという宿命があり、それが容易に拭い去ることができないのと同じように。
第21話の月は、古都が市川邸を訪ねるという、ビッグイベントを従えている。


「娘の友達」講談社(萩原あさ美著)第21話「同じ月は見ている」から引用

第27話では、親友であり晃介の娘でもある美也に晃介との関係が知られた後、古都は晃介に尋ねている。

「今日の月って...
...綺麗ですよね」

彼女の問いは、美也に知られたとしても、二人の宿命性に変わりはないとの隠喩として理解できる。だから古都は「良かった」と、笑顔で晃介の答えを喜ぶ。古都は翌日から、晃介にあててLINEのメッセージ送信を再開している。

月が二人の宿命を照らし出す象徴であることを、古都は正しく認識しているが、晃介は分かっていない。

(話数の順に表示する目的で、執筆日時を操作しています。実際の執筆は2020年3月22日です。)

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2020/02/25

『娘の友達1巻』第1話「出会い」- ディティールに注目すると見える。古都の「秘密」とは!?

自分は変態、かも

自分、筆者は、如月古都(きさらぎこと)に惚れた。

「サイコホラー」とも評される『娘の友達』(萩原あさ美著)。主人公の中年男・市川晃介(いちかわこうすけ)は、家庭と仕事から来るストレスに溺れている。そこに、娘の友達の女子高生・如月古都(きさらぎこと)が現れ、彼を救うと同時に、
奔放な言動で彼を翻弄する。彼が守ってきた日常が徐々に壊されていく様が、このような評価を生むのは、至極ご尤もなことだ。
しかしそれは、良き父、尊敬される上司として社会的に真っ当であろうとする晃介に感情移入するからこその評価であって、自分はそのようには読まなかった。古都に惚れてしまったからだ。
いつの間にか古都を考え、彼女の心理を、思考を、解釈し理解しようとしている自分に気づく。彼女の目で見、耳で聞いたことを追体験したいと想ってみる。現実の恋愛で、かつて自分がそうしていたように。
第2話以降、古都は図らずも(?)晃介を苦しめ、「俺のことどう思っているの」等と悩ませる。その苦悩を味わうのが、なぜ晃介で、自分ではないのか。羨ましいと思いこそすれ、怖いとは思わない。古都に憧憬だけでなく、脅威を覚えるような晃介は、所詮は彼女に釣り合わない哀れな中年なのだ。彼の苦悩など、どうでもよい。自分にとって、『娘の友達』を繰り返し読む価値は、如月古都に逢うことだけにある。
まあ50代にもなって、マンガのキャラクターに夢中になるとは思ってもみなかった。全く、不覚の至りで、笑ってしまう。


初回だから平和、なのか...?

「娘の友達」第1巻講談社(萩原あさ美著) 13ページから引用
古都の初登場シーンの表情。エプロンにはSHIGERUのロゴ
徐々に晃介を追い詰めていく古都はまだその片鱗を示しておらず、平和なスタートのように見える。
むしろ、課長職への抜擢によるプレッシャーや、妻の死と娘・美也の反抗的な態度、彼の努力に無理解な学校と、晃介をとりまく環境が彼にストレスを与えていることを強調する回となっている。回想シーンでは、母親から叱咤されているが、これは晃介の生育環境の問題を暗示するものなのだろうか。
古都は表情豊かで、物おじせずに気さくに話しかけてくるキャラとして描かれている。
一見して問題を抱えるのは晃介で、古都は天真爛漫、可憐で優しく、問題と無縁の、絵に描いたような(まーマンガだからそうなのだが)女子高生だ。
但し、彼女がSHIGERUで囁く時、高校で心労の晃介を気遣うとき、顔を不必要に晃介に接近させているのには気付かねばなるまい。他者との距離感が掴みづらいのかとも感じるし、「そういう女か」とも思える。美也の不登校という、大人でもしり込みするような市川家の家庭内の問題に介入しようとする辺りは、並みの高校1年生の行動力でなく、後の破滅的な行動への伏線となっている。振り返って再読すれば、すでに不穏の影はあるのだ。

喫茶店のウェイトレスとして、古都の言葉遣いは板についている。酔客に絡まれた彼女の、まだ接客に慣れていないとの言葉は、額面通りに取るべきなのだろうか。晃介に彼女を救う機会を与え、「何かお礼させてください」と借りを作り、距離を詰め、手玉にとる手管だったとみるのも可能ではないか。
第2話以降は、彼女の言動の真意は何か、彼女は真実を語っているのかと考えざるを得ない場面が続出する展開となる。そういう文脈で初回の彼女の言動を振り返ると、このような解釈も、それほど無理筋でない。接客業とはいえ、古都が初登場で晃介に見せる笑顔は、いかにもあざとい。フルページ使ってるし。


アダルトチルドレン

彼女は、いわゆるアダルトチルドレンとしての問題を抱えていることが後程分かってくる。機能不全の家庭に育ちトラウマにあえぐ古都が、筆者から見れば愛おしい。筆者の家庭は、それほど問題があったとは思わないけれど、なぜかその手の人を呼び寄せてしまい、恋愛関係に落ち、傷つけあった。彼女たちと自分が持っていた、無意識にお互いを嗅ぎ当てる力はすさまじく、それは本当に宿命的で、避けられないものなのだ。古都は晃介を見逃すはずがなく、彼女が一目見たときから、彼の運命は決まっていた...のかも。


あらすじとディティール

「娘の友達」第1巻講談社(萩原あさ美著) 9ページから引用
「八重洲中央口前」交差点の信号機の描写
亡き妻の遺影に焼香し、娘の美也を家に残して出勤する晃介。テレビに映し出された時刻は7:04。職場は高層ビル内にあるようで、課長昇進を控える。仕事帰りに、喫茶店(カップやエプロンに入ったロゴは「SHIGERU」=店名?)に寄るが、その前に「八重洲中央口前」交差点が描写され、職場は東京駅近辺であることが示唆される。
古都はSHIGERUのウェイトレスで、この日二人は初めて出会う(実は再会なのだが)。晃介に続いて入った男3人組の酔客に絡まれた古都を、晃介は機転で救う。
美也の女性教員(教室は1-A)は晃介を呼び出し、美也が不登校との認識を示して叱責する。
心労に階段で休む晃介に、古都が気づく。古都の上履きには「1-A」とあり、美也と同級。晃介の名刺を一瞥した古都は、美也と小学生のときに同級であったことを指摘し、過去の接点を晃介も思い出す。
古都は晃介の力になりたいと、Lineのアカウントを交換することを申し出る。

「娘の友達」講談社(萩原あさ美著) 第1話「出会い」から引用
桜ヶ丘学園高校のスリッパ。右は如月古都の上履き
※登場人物に半そでTシャツを着ている人物が複数登場することから、季節は夏と思われる。
※SHIGERUは店主の名前に因むものだろうか。店主は古都の祖父であることが後に明かされる。

※酔客3人組が話題にしていたカラオケ店名は「ソナタ」で、後の伏線。
※晃介の名刺には「株式会社大鳥家具企画広報部係長」「東京都中央区」等とある。
※晃介のスリッパには「桜ケ丘学園高校」と名入れがある。東京都北区には私立「桜丘(さくらがおか)高等学校」があり、スカートにタータンチェック柄と無地柄の設定がある等は本作の制服描写に似る。
桜丘高等学校ホームページから引用
https://sakuragaoka.ac.jp/schoollife/uniform/


見逃せないディティール

細部に答えが隠されているのは、本作品の特徴なのだろうか。例えば、古都の発言からは、現在の古都と美也は同学年ということまでは分かるが、同級生であるとまでは分からない。晃介が入ってゆく教室に「1-A」と表示され、古都の上履きにも「1-A」と書かれているディティールを重ね合わせて、はじめて二人がクラスメイトだと分かる。この様に断片的な情報を配置する手法は、綿密な作品構成力を要するだろう。読者としては、明示されない答えを、自分の自由な解釈で探すという楽しみがあることになり、作品に奥深さを与えている。
このことはつまり、今後の作品の進むべき方向性が、既に作品中で示されている可能性を示唆しているといえないだろうか。


秘密とは何か


本作品の副題はフランス語だが、 邦訳すると「ファム・ファタールの大きな秘密」となるとのことだ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A8%98%E3%81%AE%E5%8F%8B%E9%81%94)。「大きな秘密」というのが気になる。物語が進行するにつれ明らかになるのであろうこの秘密とは何であるのかを、あれこれと考えてみるのもこの作品を楽しむ一つのポイントだろう。
そこで、筆者なりに妄想した古都ちゃんの秘密だが。
「娘の友達」講談社(萩原あさ美著) 第1話「出会い」から引用
美也を介して晃介との接点が過去にあった古都
古都は機能不全の家庭に育ち、ほとんど父親はいないも同然。小学生の時に、同級の美也とその父・晃介と映画を見に行った時から既に、古都にとって優しい晃介は憧れの存在だった。
それぞれ別の中学に進学したが、古都は美也と同じ高校を受験。実は美也を通じて晃介との接点を復活できるのではないかとの思惑があったのだ。

現実は古都にとって好都合に推移し、晃介の妻は、他界してしまった。不登校になった美也がいなくなれば、晃介は古都だけのものになる。その実現のために、古都は晃介を篭絡し、社会的に逸脱した行動を取らせて美也が離反するように画策する。不登校で晃介を苦しませた美也が自分から出ていくよう謀ることに、躊躇する必要はない。晃介にとって、本当に必要なのは美也でなく自分だという歪んだ自負が古都にはある。
当然、SHIGERUで、自分を酔客から救った(または救わせた)中年男性が、晃介その人であることは、古都は初めから認識していた。だからこそ、「お礼させてください」と、次につながる借りを作ろうとしたのだ。
来店した中年が晃介だと
初めから分かっていたなら、なぜ、もっと早いテンポで古都はアプローチしなかったのか? 
読者はそう思うかもしれない。しかし、いきなりそれだと、

「きーちゃんです!」
「あ、きーちゃん!?

「LINE交換してください」
「...へ!?」
「で、水族館に行ってその後ホテル」
「大人をからかうのも、いい加減にしなさい


で終わり。失敗。


「娘の友達」第1巻講談社(萩原あさ美著) 第1話「出会い」から引用
LINEアカウント交換を晃介に申し出る古都

「お礼をさせてください」という細い糸からたぐりよせて、不登校の美也という共通の悩みを設定。「お父さんの力になりたい」という殺し文句でLineのアカウントをゲット。以後、着々と本丸に迫る古都。
仮にSHIGERUで晃介との再会がなかったとしても、美也とは仲良しなんだから、高校に通う3年間をかけてチャンスをうかがえばよかったわけ。美也を出しに晃介の自宅を訪問するプランは、晃介とSHIGERUで再会する前に、予め練られていた可能性すらある。何しろ古都が糸口さえ掴めば、晃介の陥落は時間の問題でしかない。

...ここまで酷い話にはなってほしくないけどね。ほんとはハッピーエンドにしてほしいよ。